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  「京街道」(東海道五十七次)



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京街道とは

 京街道の起源は奈良時代より存在する古道であったそうで、1594 年(文禄3 年)に伏見城築造に着手した豊臣秀吉が、大坂から伏見への最短ルートとして毛利家に命じて淀川左岸に「文禄堤」を整備し、後に京街道と名を変えたという。

 江戸時代に入り京に向かう「東海道53 次」に続いて、江戸方から大阪に向かう京都を通らないルートとして、新たに4 宿が整備され大阪までの「東海道57 次」が完成した。

 大津から東海道の逢坂の関を越えた後、山科に入ったところの髭茶屋追分で京都・三条大橋へ向かう道と分かれ、山科盆地を小野まで下り、勧修寺から稲荷山の南麓を抜けて伏見宿に至る。
以下、淀宿、枚方宿、守口宿を経て大坂に至るが、この道は参勤交代の経路としても用いられ、幕府には西国大名を上洛させない狙いもあったという。

 伏見~大坂までは淀川沿いに舟運が発達し「三十石舟」など各種の舟が行き交い、旅人にも多く利用された。
川の下りを利用した伏見→大坂までは半日程度、流れに逆らい時間のかかる京への上りは夜行舟もあったという。

 明治期に入り国道が整備され京都-大阪間の国道(旧京阪国道)も伏見を通らないルートが選択されたが、淀堤・伏見街道を経るルートに沿っては、鉄道の京阪本線が敷設された。

 行程の大半を淀川左岸を走るこの路線に沿って、あたかも連れ添うように往く京街道。どちらかというと、海岸沿いの自然を感じながら進むイメージの濃い東海道と異なり、沿線の街の魅力と川と水の歴史をゆっくり感じながら歩く京街道は、一味違う魅力と安らぎをも与えてくれるかのようだ。 
 


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